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たましいの成熟度がわかる「小我・大我」とは

私たちの「思い・言葉・行動」すべてにおいて、”小我”、”大我”にわかれます。

小我の心とは、簡単に言えば自己中心的な「自分さえよければ」の心です。自分のことに執着した幼いたましいともいえるでしょう。

大我の心とは、「母の愛」。つまり、無償の愛です。広い視点を持ち、本当の意味で相手を思い行動できるのが大我の心。簡単には出来ません。むしろこの小我を大我に変えるために、私たちはここに生きています。ですから、大我だけで生きている人はいないし、ここで学ぶ必要がないといえるほど、大我は神の心「神我」なのです。

この世に生きているだれもが、未熟な幼いたましい。。多少の度合いが違うにすぎないどんぐりの背比べ。私もあなたも。

柔軟性を備えよう「清濁併せ吞む」

この世は物質的価値観。理想と現実は違うもの。どんなに心が綺麗な人でも、お金がなくては生活できません。「清濁併せ呑む」という言葉があるように、生きていく術を身につけることも時には必要になってくるのです。

「嘘はつきたくないから真実を話す」は大我?

誠実で大我な心に見えるかもしれませんが、場合によっては自分が楽になりたいだけで、言い訳になってしまいます。相手を思って、相手が知った方がいいことと、むしろ知らない方がいいことがあるはずです。「嘘も方便」とはこうした優しさから使うべきこと。この場合の「嘘」は大我になるのです。ごまかす嘘や自分だけが楽になりたいだけの心は小我。全く違ってきます。

小我と大我の大きなちがいは、その「思い・言葉・行動」に責任と覚悟があるかどうか。見分けるポイントにもなるでしょう。

真実を伝えるだけなら簡単なのです。その伝えた後も想像できていますか?ただ悪い人間と思われたくない、嫌われたくないと自分の心に嘘をつくのも、後々、自分を苦しめます。いいことも悪いことに見えることも、見方が変われば全く違うものとなるのです。

バランスを取りながら、柔軟な心を持ちましょう。

「郷に入れば郷に従え」

大我の心で正しきことをしていても、この世ではすぐには報われることは少ないでしょう。ずるい人が得をする場面も多いです。それはなぜか?ここは物質主義的価値観にまみれた世界だから。たましいを磨くために必要な世界だから。

理不尽な現実に向き合い、心に折り合いをつけて、それでも前を向いて乗り越えていくことが、私たち全員の共通のテーマ。

この世は清いだけでは生きてはいけません。

時には心を「鬼」にすることも必要。野心や妥協、酸いも甘いも、清濁併せ吞むことを理解することが、その人の大きな強みとなります。安易に人に悪意を抱かせない、その危険を回避することも大事な生きる術です。

被害者にならないことはもちろんですが、相手を加害者にさせない強い姿勢で生きることが、本当は大事なのです。地に足を着けて生きるための、したたかな心を備えましょう。

最近は予期せぬトラブルが多くなりました。波長の法則を理解し、自らの波長を上げ、トラブルを引き寄せない生き方も心がけたいものですね。

今日も素晴らしい一日を。

いってらっしゃい(^^)