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強く生きるために等身大の自分と向き合う

何かあるとすぐ自分を不幸だと思う人がいます。そうした人は、出来事の受け止め方で自らを不幸にしているのです。どんなにいいことがあっても、ネガティブな考え方で自分を不幸にします。「どうせ私は…」そんなセリフを口にしたりしていませんか?それでは幸せであっても、それすら気づけない人になってしまいます。

たとえば、人に批判されたとします。別に大したことではないと気にも留めない人がいる一方で、やたらと気に病む人がいます、その結果心が折れてしまうのは、プライドが高いことや、世間知らずであることが要因の場合が多いでしょう。また、自分の軸を持たない人も、周りの意見に振り回され、最後には人のせいにして自分を見つめようとしない人。自分という器、等身大の自分を知っていたなら、素直に反省し、感謝もできるはずなのです。「あなた」という素材をしっかり見つめましょう。

生き抜くことに価値がある

私の好きな言葉の一つに、人は、価値があるから生きるのではなく、生き抜くことに価値がある、という言葉があります。

プライドや物質主義的価値観、何に価値があるとかないとか、そんなことが私たちの人生の目的ではないはずです。人生は旅。たくさんの経験と感動を積み、人生を全うし生き抜くことに価値があるのです。毎日の暮らしの中で、理不尽なこともあるかもしれません。けれど、すべては今必要だからおきているのです。自分が創りあげているものに、不平不満を言ったところで何も変わりません。天から授けられた自分の職務を尽くしましょう。

雑草から学ぶ

畑の雑草を見て、いつも思います。雑草は強く賢い。いちごや玉ねぎなどの根元に巻き付き、少しでも生き残ろうとへばりついています。まるで、どうやったら生き残れるのかをいつも考えているようです。雨にも台風にもくじけず、踏みつけられても、引っこ抜かれても、自らの生命力で、根っこからまた復活する。実に逞しいです。

厳しい経験は、たましいを鍛える力を持っています。そうやって免疫力を備えたたましいは、雑草のごとく再び成長を続けることができるのです。経験は宝。

雑草のように生きる。それが一番の「幸せに生きる道」です。

今日も素晴らしい一日を。

いってらっしゃい(^^)