人生はたましいの旅
今、私たちが生きている「現世」は、死後も続く「たましいの旅」の通過点に過ぎません。死は現世という修行の場の卒業。どんな苦しみにもやがて終わりがくるのです。自死はたましいの学びを放棄することを意味します。卒業にはならないのです。たましいの学びを放棄することはできません。再び、その放棄した課題を乗り越える人生を、時代、性別、環境は変わっても、同じ課題を生きねばなりません。愛の法則から何度でもやり直すチャンスはいただけても、今の人生を生き抜いたほうがいいのです。
生きたように死んでいく
人生において大切なのは「何をしたか」ではなく「どう生きたか」です。自分の与えられた寿命を、全うできたかということなのです。
人は生きたように死んでいくというのも真理。家庭を省みなかった人が、家族の愛に包まれて最期を迎えることはないでしょう。死について考えることは、今をどう生きるかについて考えることなのです。今の生き方で死後の世界も決まるのです。死んで神にはなれません。今のあなたの思い、言葉、行動に合った階層に移動するのです。生きている「今」がどれだけ重要かを心に刻んでください。
最後まで生き抜く
超高齢化社会を迎え、長生きして家族に迷惑をかけるのではないかと、不安になっている方も多いと思います。安楽死を求める声も耳にしますが、それは物質主義的価値観。安楽死を認めることは、寝たきりの人はみな、お荷物だということになってしまいます。
歳を重ねる、病気になる、寝たきりになるなど、誰かに看てもらわなくてはならなくなることは、献体という大役だと私は思います。申し訳ない気持ち、情けない気持ち、さまざまな心をもつ病人がいるからこそ、初めて弱さや優しさを学べるのです。健康な人ばかりなら、優しさも思いやりも、気づけません。すべてのことに意味がある学び。逃げていてはその大切な宝に気づくことはできないのです。
たましいは永遠
死は、たましいの旅の通過点にすぎません。この世で必要だった体をお返しすること。たましいは永遠に生き続けると理解することによって、人生は旅という視点があれば、生きる希望につながるでしょう。体があるからできることが沢山あるのです。手から感じるぬくもりも、舌で味わう食事も、大好きな人の声も、美しい言葉を話すのも、みんな現世だから感じることばかり。視点を広げ考えてみてください。
この世での出会いも神秘。誰もが命の学びに挑んでいます。
自分の人生を全うし、たいせつな今を生き抜きましょう。
今日も素晴らしい一日を。
いってらっしゃい(^^)