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本当の「逃げ」と自己憐憫の「逃げ」

物事をとらえるとき「逃げ」か「卒業」を、自分の中で意識したことはありますか?この二つの違いは何でしょう?

逃げは、文字通りその場から逃げる。もちろん命にかかわるような時は躊躇なく逃げることも必要です。今の時代は、残念ですが、正常な愛念、正論が通じない時代になってしまったように感じます。

闇は深く、命の危険を感じる時は、迷わず一刻も早く闇から離れる手段を考えていただきたいです。本当にあなたを心配してくれる人は必ずいます。身内だけに限らず、諦めないで甘えられる人に正直に心から助けを乞いましょう。

ここでいう「逃げ」はそうした意味の逃げではなく、ただ、努力もせず理解することもなく、言い訳ばかりしている状態をいいます。

自己憐憫、責任転嫁、依存心。

これは不幸の三原則とも言われていて、誰もが簡単に陥る難しさもあります。

誰だって自分を悪く思いたくないし、とっさに動物本能で自己防衛をしてしまうものです。それでもそこで全てを何かのせいにしてしまうのは、成長が止まってしまいます。

職場の人間関係、夫婦間のトラブルなど、自分にとってあまりいい状態ではない時、会社を辞めたくなったり、離婚したくなったりするかもしれません。

そんな時ほど、分析し反省しましょう。

転職も離婚も、決して悪ではありません。人生の通過点であり、それもあなたの経験となります。ただ、すべてをそのせいにしてしまうのは少し違うのではないでしょうか。

最初からトラブルばかりではなかったはず。よい思い出も必ずあります。ずっと一緒にいれば幸せというのも、ちょっと違いますね。

”今だけ金だけ自分だけ”

これでは本当の幸せにはなれないでしょう。

 

反省、分析なき「逃げ」は、一時はその場から離れても、何も成長も解決もないものごとは、あなたに”学び”として何度でも繰り返しやってくるでしょう。

いつもトラブルになる、また同じようなことばかり…そんな風に思っているとしたら、今一度自分の「行動」「言葉」「思い」を振り返ってみましょう。

人生は山あり谷あり。喜怒哀楽すべてがあなたを成長させるために必要なのです。現実を受け入れ、自分と向き合う勇気を持ちましょう。

 

「卒業」は新しいスタート

では「卒業」とはどんなことを言うのでしょうか。

「逃げ」はおもに感情が優位になります。分析し反省するには、理性的でなければなりません。”涙目では真実は見えない”のです。

自分の嫌なところや、見たくない部分と向き合うことは難しいかもしれません。ですが、どんな出来事も100%相手が悪いことはないのです。自分も必ず間違っていた部分があるはずです。

そこで落ち込むのは、「自己憐憫」かわいそうな自分と思ってしまうだけ。

こうした出来事は、あなたに気づきを与えています。自分では気づけなかった部分をこうした形で教えてくれているのです。目の前に見えることばかりに気をとられていないで、もっとその奥の、出来事のバックグラウンドを想像しましょう。

よくよく物事を考えていくと、愛されていたことにも気づきます。

どんな時も自分の戒めのためや、たましいの成長のために必要なことばかり。感謝することばかりなのです。

心から「感謝」が湧いてきて、その経験を肥やしとし成長したなら、その時が本当の意味で「卒業」となります。卒業したのだから、もう同じことでつまずいたりしません。新しいあなたになれるのです。

すべてのことに意味がある

私たちはこの世に生まれてきたのは、自らのたましいの成長、向上を目指しチャレンジしているのです。だから、何かあって当然なのです。困難がなければ人は成長しません。

この世には、生まれてこなければよかった命も、いなくなればいい命もありません。迷惑をかけることも学び、迷惑をかけられることも学び。人は誰かの厄介にならなければ、生まれてくることも、育つことも、死んでいくこともできません。どんな人だって必ず誰かに迷惑をかけながら生きているのです。

「感謝」しましょう。それが幸せになる近道。笑顔でいましょう。その笑顔にまた笑顔が増えるから。信じましょう、自分の強さと愛を。

すべてのことに意味があり、必要だから起きている。

私たちは守られいます。今日も素晴らしい一日を。

いってらっしゃい!