スポンサーリンク







義理の家族は「第二の学校」

結婚して新しく付き合うことになる義理の家族。これは、スピリチュアルな視点で見れば、実の家族は例えるなら「第一の学校」。そして義理の家族は別のカリキュラムを学ぶ「第二の学校」のようなもの。

育ってきた環境も価値観も異なるもの同士ですから、頭を悩ませている人も多いのではないでしょうか。私自身も21歳で嫁に来て、何もわからないまま同居生活は始まりました。若い頃は、まったく違う価値観に戸惑ったり怒りがこみ上げたり、実家という存在が遠くなるにつれ、自分の居場所がなかなかできない、そんな時期を過ごしていたものです。

一般的にお姑さんに無視されたり、暴言を吐かれたり、お姑さんの態度が理不尽な場合は、あなたに対しての「嫉妬」が原因。大事な息子を取られた、と嫌がらせをしている場合も少なくありません。そんな時、一緒になって感情的になって泣いたところで問題は解決しません。むしろ、そこまで大事に愛されて育った人とあなたは結婚したと思いましょう。「お好きなように」くらいにあなたの方が一段も二段も上にいながら見ていたらいいのです。

実は、自分や子どもたちを”被害者”にしてしまっているのはあなた自身の考え方にあるのです。もしかしたら、お姑さん自身ももっとひどい仕打ちを受けてきた人なのかもしれません。そういった悪しき考え方が嫁ぎ先にあるのならば、あなたがその流れを断ち切り、終わらせる努力をしましょう。あなたも子どもを溺愛し我がものとしないこと。子どもに広い社会を見せて、子どもを私物化しないよう心がけましょう。そこにも大きな学びがあるのです。

義理の親が子育てや家庭のことに口出ししてきた場合は

反対に、義理の親が子育てや家庭のことに、あれこれ口出しするというケースもあります。この場合は依存心との決別をすることがあなたの身を護ることになります。

30年を過ぎた今になれば理解できることも多いのですが、若い頃は、義母も若く、未熟な私に容赦ない理不尽な言葉や態度もありました。孫をかわいがるあまりに私とは子育て方針がかみ合わず、正直家を出たくなることもしばしば 笑

そんなとき、亡くなった母の言葉は私に大切な気づきをくれました。

「いると思うから当てにする。はじめからいないつもりでやればいい」

貧乏で子だくさんの家の長男の嫁として、苦労してきた母の言葉は深かった!確かに私に甘えがあったと、その辺りから少しずつ闘うのをやめました。そう、決別すべきは寛大になれない自分の気持ちと依存心だったのです。

口出しされて嫌だと言いながら、都合のいいときだけ子どもの面倒をみてもらったり、金銭的に援助してもらったりしていないでしょうか。もしもそうなら口出しされても文句を言える筋合いではありません。依存していなければ、逆にきっぱりと断ることもできるのです。ただしこんな時ほど感情ではなく理性で返すこと。「話し合ってみますね。意見をくださってありがとうございます」など、淡々と伝えましょう。

それをたとえ嫌みとか生意気を受けとめられても、やることさえやっていたなら、自分を貫けばいいのです。人は誰もが未熟者です。共に切磋琢磨し、私にとってはたくさん磨いてくれる大事な嫁修行だったと今は感謝しています。この環境でなければ、あの経験がなければ、今の私はいないでしょう。

歳を重ねると見えてくるものがある

私も気づけば、お嫁に来た頃のお姑さんの歳になりました。義母の気持ちも今はよくわかります。これからという時に、あっという間になくなった義父。夫を早くに亡くし一人になった義母の寂しさは計り知れない。年をとり、動けなくなり思うようにならない身体とのジレンマ。義母の姿は、先を私たちに見せてくれています。

今、施設の方々に手伝っていただきながら、家ではなかなか見せなかった穏やかでかわいい笑顔を目にすると、本当はとってもかわいい人だったんだろうなと思います。そうせざるを得なかった背景が見えてくるのです。

どんなことにも意味があり、その人はその人だけの人生を必死に生きている。

私の生き方を子どもたちがどう感じるかは分からない。けれど、「お婆ちゃん」を大切に思う息子たちを見ていると、これで良かったのかな…と今は思います。

つぎは自分たちの番。最後にいい人生だったと言いたいものです。

今は辛いかもしれませんが、目には見えない込めた愛は、不思議なものでやがてはちゃんと目に見える形で、何倍にもなって返ってきます。だから信じて愛を貫きましょう。必ずその意味がわかる時が来るから。

今日も素晴らしい一日を。

いってらっしゃい(^^)