経験は学び
経験こそ宝
経験は学びです。あなたがやりたいことを、やりたいだけやったらいい。大事なことは、そこから何に感動したのか、たましいが何を感じたのかです。経験こそ宝。経験して学んだことは知となり自らの「身の丈」を知ることなるでしょう。学ばずしてただ不安になったり心配しておろおろするのなら、失敗してもいいから、やりたいことをやって経験を積むことの方がどれだけ充実した人生をおくれることか。たとえ喜びとならなくても、たましいの学び成長に繋がっていくことでしょう。他人の目を気にしすぎて、自分を見失わないように・・・。恐れて生きるよりは、とことんやるだけやったらいいのです。
この世に罰(バチ)はない
好きなように生きていたら、何だかそのうちに罰があたるのではないか?などと、不安になったりする人もいるかもしれません。けれど、はっきり申し上げて、この世に罰はありません。すべては因果律、因縁果。原因があっての結果なのです。自らが自らにくだしているに過ぎない。どんな結果も必ず原因があります。そして善い結果にもそうなった理由があるのです。「天罰」などという言葉も宗教が作った言葉。むしろ、原因を教え、再びリベンジのチャンスをくれる愛の法則。うまくいかないのは、きちんと分析し反省し行動することが出来ていないから。ここでも自己分析が鍵となります。同じことをただ繰り返すのではなく、何がいけなかったのか?自分の行動を省みて受け入れることが次へのステップとなるのです。責任主体で生きていたならどんな結果も受け入れられます。私たちは失敗する権利と、チャレンジする勇気を手にしているのだから。
宝石が光るのは磨かれているから
ダイヤの原石も磨かなければ輝きません。光るために細かな傷をつけながら磨いていきます。日常であなたに嫌なことがあって傷つけられたなら、このことを思い出して。そう!傷ついたのではなく「磨かれた」と思いましょう。他人の言葉は自分の気づけなかった部分を教えてくれていることが多いのです。腹を立てる前に、冷静になって考えてみましょう。自分がなぜ?その言葉に反応しなければならなかったのか・・・?案外うすうす自分でも気づいていて、つつかれたくない部分を言われたのかもしれません。認めたくなくて自分でも見て見ぬ振りをしてきた部分を。人は思っていないことに反応しません。傷つくほど反応するのにはあなたの中に原因が隠れているのかもしれません。その人のおかげで、また一つ成長できたのです。傷ついたのではなく磨かれたのです。本気で叱ってくれる人がどれだけ有難い事か。愛がなければできません。愛の反対は無関心。切磋琢磨、お互いを磨き合い、感謝しながら共に成長出来たらいいですね。
人は人からでしか学べません。経験は宝。
今日も素晴らしい一日を。
いってらっしゃい(^^)