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私の思川桜に会いに行ってきました

今年も桜のシーズンを迎えました。今年は急に温かくなり、一気に開花も進み間に合うのかドキドキでしたが、かわいい思川桜に会えました。

3年前、結城紬の里でもある小山市にご縁を頂き、お邪魔した時に桜の里親制度を知りました。思川桜は結城紬の桜染めのもとになっている桜の木。思川桜を見た時、ひとめぼれしたのでした。

白鳳大学大行寺キャンパスの裏手にあるみごとな桜並木。今年もとっても綺麗でした。少しピークは過ぎていたけれど、花びらが可愛い。

いつか自分の桜を持てたら…と、ずっと夢見ていました。2018年、そんな時出会った「思川桜の里親制度」。

嬉しくて直ぐに申請しました!!

私と思川桜

里親制度に申請し、植樹したのは2018年2月。その年の春にも自分の桜に会いに行くことが出来ました。もちろん桜染めのお着物と結城紬の帯で里帰り。

私にはピッタリの雄大な景色を見渡せる、のびのびした環境に彼女は立っています。

桜染めに憧れ、結城紬に初めて出会いました。結城紬は日本を代表するトップクラスの紬です。いつかは結城。お着物を愛するものなら知らない人はおりませんね。

桜染めに使うのは、桜を咲かせる冬から春に向かう枝。花を咲かせる前の剪定した枝を使うのだとか。アルミ媒染で染めるとピンク、鉄媒染だとグレー、こうして微妙な色の変化を出していくのだそうです。桜染めは二度と同じ色にはならないので、ある意味私だけの着物というわけですね。この素晴らしい技術を残してほしい。そんな思いも込めて、植樹できたこのご縁に心から感謝です。

植えたばかりの枝でしたが、もう花がついていました!この年は思ったより開花が遅れて、これからでした。思川桜はソメイヨシノよりも少し遅く咲きます。

昨年はコロナで会いに行くのは断念。今年は2年ぶりの桜。すっかり枝も広がり成長が嬉しかったです。まだまだコロナの猛威の最中、今回は着物は諦めました。逞しく頑張って成長している姿に勇気を頂いてきました。私も負けられないな。

 

思川桜とは

オモイガワ(別名:思川桜、学名:Cerasus × subhirtella ‘Omoigawa’)は日本栃木県小山市原産の栽培品種サクラ1954年(昭和29年)に小山市の小山修道院の庭先で東京大学理学部付属植物園元主任の久保田秀夫がジュウガツザクラの実生を採取して植えて育てたところ、ジュウガツザクラとは違う特性を持った突然変異のサクラが育った。これを日光植物園で栽培品種の新種として固定し、小山修道院の付近を流れる思川に因んで命名されたのがオモイガワである。(参考資料:フリー辞典Wikipediaより)

1978年7月10日に、オモイガワを小山市の花に制定。

2001年から始まった思川桜の里親制度も、2019年時点で2000本を越えたそうです。その一本に私の思川桜があると思うと、とっても嬉しいです。花びらも半八重といって、6から10枚くらいの花びらが、ひらひらしています。色素もややピンクの濃い、可愛らしい桜なのです。


開運のまち「小山市」

天下分け目の小山評定

徳川家康は、慶長5年(1600)7月24日、上杉景勝を討伐するために会津(福島県)に向かっていた途上、下野国小山に本陣を置きました。その時、石田三成挙兵の報が入り、翌25日、急遽家康は本陣に諸将を招集して軍議を開き、「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田を討つべきか」を質したのです。これが世に言う「小山評定」です。家康に従う諸将のほとんどは豊臣家譜代の武将で、大坂に妻子を残してきており、その去就が家康にとっては興亡の境目だったのです。
このとき、尾張国清洲(愛知県)城主の福島正則が家康のために命を投げ出すことを誓い、続いて遠江国掛川(静岡県)城主の山内一豊が、「家康に城を明け渡してまでもお味方します」と進言しました。一豊らの建議が諸将の気持を動かし、家康支持で固まったのです。家康は特にこの時の一豊の建議を、「古来より最大の功名なり」と激賞しました。
こうして家康率いる東軍は、石田三成討伐のため西上することに決したのです。
そして9月15日、美濃国(岐阜県)関ヶ原に東西両軍約20万の大軍が相まみえて天下分け目の一大決戦が行われ、東軍が勝利したのでした。関ヶ原の戦の直接の勝因は西軍小早川秀秋らの土壇場での寝返りでしたが、西軍が当初から足並みが揃わなかったのに対し、東軍は結束しておりました。東軍にこの結束をもたらしたのが「小山評定」でした。
もし、「小山評定」が無かったならば、東軍は結束することができたでしょうか。このようにして見ると家康が勝利を収めることができたのは関ヶ原の戦であっても、その栄光の道筋は、小山から始まったといっても過言ではないでしょう。
「天下分け目の関ヶ原の戦」と良く言われておりますが、実は、「天下分け目の小山評定」だったのです。(参考資料:小山市ホームページより

開運のまち小山で、エナジーチャージ、パワーアップ!! とてもエネルギーと癒しに溢れた素敵な時間を過ごすことができました。

いつも立ち寄る小山須賀神社にも参拝出来ました。

ありがたいお言葉を頂戴して(*^^*)また、すすめそうです!先ずは楽しもう♪

コロナで超有名人になった、岡田晴恵先生の大学、立派な白鳳大学が、新幹線小山駅のまん前に立っています。開運パワーが働いているのかな?(;^_^A一日も早いコロナ終息を祈ります。

結城紬

結城紬は、室町時代に結城家から年々室町幕府鎌倉官領へ献上品として紬織りを使用したので、結城家の名をとって結城紬であり、日本最古の歴史をもつ織物と言われています。

昭和28年11月茨城県の無形文化財として指定を受け、更に昭和31年3月国の重要無形文化財として、総合指定を受ける。平成22年11月には、世界共通の財産として、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。(参考資料:本場結城紬卸商協同組合パンフレットより)

私の住む新潟県も日本有数の着物生産地。平成21年に小千谷縮などの新潟の技術もユネスコ無形文化遺産に登録されています。日本を代表するお着物を、着て歩けることは本当に幸せなことだと思います。もっともっとたくさんの方に、着物のよさを伝えていきたいですね。

駅近くに「おやまゆクラフト」おやま本場結城紬クラフト館に連れていっていただきました。

 

一反の反物を織るのに、2100個の繭が必要なのだそうです。繭から直接糸を紡ぐ「生糸」ではなく、一旦繭を茹で、真綿にしてから糸にする。熟練の技が必要な工程ばかり。人のつばをつけながら紡ぐわけですが、コロナで衛生的なこともあり、今は水をつけながら糸を紡いでいるそうで、そうすると、糸の状態がうまくなく、作業にも影響があるようです。

余談ですが、人からでる「気」と言われるものとイメージしてもらうとよいかもしれませんが、エクトプラズムという目にはみえないものを人は発しています。その成分は爪や唾液の成分と同じであることが、心霊研究ででています。という事は、糸つむぎ作業は、紡ぐ人の心も紡いでいることに成るんだな…と一人感動しておりました。それは水では全く違ってくることは当然ですね。

神社の手水舎の柄杓もいまでは見なくなりました。コロナになって、大事に守りたいものが消えていきます。無くしてしまわないように、伝えていく努力を感じた旅となりました。

やさしい色の結城紬ならではのお土産も!

ペンケースに桜染めのハンカチーフ。素敵でしょ♪

栃木の名産「いちご」を満喫

小山市に行くと、この時期立ち寄りたい場所があります。それは「いちごの里」🍓

これも名物天使のパンケーキ。ふわっふわなクリーム。凄いですね~~(^^♪

めちゃめちゃ美味しかった。ピザも美味しいお店です。

是非、お出かけください。

 

今年は洋服だったので、いちご狩りも体験。なんと贅沢にも「スカイベリー」の食べ放題!でっか~い💛とても一口では無理なほど(笑)ジューシーな🍓いちごをこれでもかと食べてきました!大満足。一年中いちご狩りは楽しめますが、事前に予約が必要です。詳しくはホームページをご覧くださいね。いちごの里

感染症対策をしながらの、今回の小山までの旅。新幹線の指定席はガラガラでした。去年会いに行けなかった分、今年の桜の成長は嬉しさひとしおでした。厳しい冬を乗り越え、立派に花を咲かせ、成長した分身に勇気をいただいた旅でした。私がこの世を去ってもきっと逞しく美しい花を咲かせてくれるであろう思川桜は、私の希望です。

ご縁をつないでくださった皆様に、心から感謝申し上げたいと思います。不思議なご縁に導かれ、この地で出来た大切な友人に感謝です。いつもありがとうございます。

来年はまた着物で行けますように。

 

なでしこ和美人越後 前山豊子

https://www.mae-musubi.com/