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本当の「美しい人」になるには…

禅の言葉に「威儀即仏法いぎそくぶっぽう 作法是宗旨さほうこれしゅうし」という言葉があります。これは、すべての動作について、礼儀作法にかなった身のこなしをすることが、そのまま仏法である。すなわち、日常生活の立ち居振る舞いそのものを整えることが、そのまま禅の修行である。という意味だそうです。

これは、私たちは禅の修行をするお坊様ではありませんが、ある意味、この現世に生まれるということは、ここで修行をしていると言えるのではないでしょうか。

人間の立ち居振る舞いそのものがすべて修行であり、心を整えるために、まず自らの所作を整える。立ち居振る舞いが整うと、自然と心も整います。心が穏やかになれば、言葉に優しさや思いやりがにじみ出たりするものなのです。

逆に、立ち居振る舞いが乱れてしまうと、心も乱れ、自然と言葉づかいも乱れてきます。言葉づかいが攻撃的になったり、身勝手な振る舞いが増えると、周囲とトラブルになったり、やがては孤立してしまう…などということにもなりかねません。

所作が整えば、心も身のこなしも綺麗になります。「美しい人」になるのです。見ている人はもちろんですが、自分自身も清々しく、心も強く生きることができるでしょう。美しい所作、日本の伝統美に触れることは、人生が輝くためのいちばんの基礎となるでしょう。

「所作」と「心」は深く結びついている

「立ち居振る舞い」というとどんなイメージを持つでしょう。立ったり座ったりするときの動作や体の動かし方のことをイメージするかもしれません。ですが、「立ち居振る舞い」とは単に体の動きということだけではなく、もっと別なものもあらわしているのです。

カジュアルな服装の時と、あらたまった席でのドレスやスーツ、お着物を着た時では、立ち居振る舞いはどうでしょう?まったく同じにはなりませんね。カジュアルな時には立ち居振る舞いもラフな感じになりますし、あらたまった席での場合も、着物やドレスを着慣れていなければなおさら、かしこまった緊張感がただようものです。

私たちが普段から着ているものによって立ち居振る舞いが変わるのは、その時々で心のあり方、心の状態が変化するから。つまり「立ち居振る舞い」とは「心を映し出すもの」といえるのだと思います。「所作」と「心」は深く結びついているのです。

心の美しい人

穏やかな所作には心の穏やかさがあらわれます。特別に美男美女ではないのに「素敵だな」と心惹かれるのは、その人の優しい心や美しい内面が、その人の所作、雰囲気から感じ、美しく素敵だなと思うのでしょう。本物の美しさは「さりげない」もの。なぜだかわからないけれど、心惹かれ、また会いたくなるものなのです。

所作を整えることは心を整えること。「心」の軸を身につけることはなかなか難しいかもしれませんが、「所作」を意識することは誰にでもできます。まずは自分の行動を意識し、動き方や言葉づかいに気を配ることで、同時に「心」も磨かれていくのです。丁寧に生きる。自分自身を大切にしましょう。心の「美しい人」になりたいものです。

優しさは強さ。幸せに生きるための大事なステップです。

今日も素晴らしい一日を。

いってらっしゃい(^^)