遺言はできるだけ尊重したいもの
遺言や形見は、故人の思い出として残ります。いい思い出ばかりならよいのですが、時にはトラブルや悩みの種になりかねない、難しい場合もありますね。そんな時、遺言や形見をどんな風に受け取ったらいいのかを、霊的真理から紐解いてみましょう。
遺言書までいかなくても、今はエンディングノートが以前より広まり、書かれている方も多くなりました。あなたはエンディングノートを書いていますか?
エンディングノートは、本人の希望や伝えたい想いを書きますが、それは見方を変えれば、残された家族への愛のメッセージです。最期をみとることは、誰もが経験が少なく、どうすればいいのか迷い悩みます。関係のない家族以外が割込み、仕切ることもあるでしょう。そんな時、ご本人の意思を書いたものがあれば、迷うことなく進められます。「これで良かったんだろうか?」といつまでも家族を苦しめることもなくなるのです。できる限り、ご本人の思いを尊重し、安らかにおくりたいものです。ただし、無理難題は別。故人のたましいに、出来ない旨と理由を伝え「ごめんなさい、こちらの立場も理解してください」と説得しましょう。たましいは生きていますからちゃんと伝わります。むしろ、あちらで全てを理解しますから、いかに自分が小我なことをいって困らせたかにも気づき、反省なさることでしょう。あなたの思いは伝わっています。大丈夫。
エンディングノートは愛のノート
いつ、何が起きてもおかしくない時代になりました。コロナで最期に立ち合う事すら叶わない、とても厳しい時代になりました。震災、大洪水、天啓の時代、いつ自分が巻き込まれてしまうかもわかりません。あなたの今の思い、感謝を伝えたいことを書いておきましょう。また、延命治療の有無など、家族が迷わない道を示してあげましょう。お気に入りの写真などもあると自分もいいですよね。自分の人生の最期の演出は、自分でできたら最高だと私は思っています。
ただ、恨みごとは書かないように。余計な心配させる秘密も必要ありません。立つ鳥跡を濁さず。最期くらい美しく去りたいものです。
自分が大事なものでも、価値を感じなければそれはゴミになります。少しずつ自分で始末し、整理して、本当に大切なものに囲まれて、後半を生きれたら幸せですね。
形見について
形見分けなど、故人のものを処分するのも大変なこと。できれば、故人を象徴するものを少しだけ残し、早めに処分しましょう。中には故人を惜しむあまり、いつまでも生前のまま、亡くなったときのままにしているお宅もあります。お気持ちは十分理解できますが、厳しい言い方をすれば、こちら側のわがままです。時は戻せません。けれど、たましいは永遠。あちらへ帰っても学びがあるのです。こちらの都合で、いつまでも泣く家族が心配で、あちらにもいけず苦しめてしまっています。本当の供養は、残された家族が笑顔で前を向き、命の大切さを心に刻み、自分の人生を生き生きと輝きながら生きる姿を見せること。もう心配しなくていいよ!といってあげることです。
この世の未練を断ってあげるためにも、大事なもの以外は整理してあげることも「愛」なのです。物はなくなっても、あなたの中で故人は生き続けます。いつも心で会話してあげることのほうが、どれほど故人が嬉しいか、自分だったらと考えれば容易に想像できるでしょう。
繋がるのは「心」「愛」です。絆は永遠なのだから…。
大好きな大切なあの人は、今もあなたを応援しています。あなたはあなたの人生を最期まで生き抜いてください。たくさんの経験と感動という手土産をもって、いつかまた会えることを楽しみに。
今日も素晴らしい一日を。
いってらっしゃい(^^)